ru-shi’s diary

素敵な勘違いで生きている

「無責任」だと退職希望者を追い詰める人。

約5.6年前に、退職したいという社員に対して「無責任だ」と引き止めていた管理者がいた。

引き継ぎをきちんとしようと半年前に申し出ているのに、

「あなたが辞めたらここの店舗は閉めないといけない、お客様に迷惑がかかるでしょ?」

と。

それでも退職の意思は固いと伝えるその人に、新しい人が決まったらねとだけ言い、

半年後の退職は約束してもらえなかった。

申し出ている本人は、とにかくまじめで気が弱くて、そして「責任感が強い人」だったので、「自分が退職するのは無責任なんだ」と言いくるめられて在職し続けていた。

 

この、無責任と言う言葉で人を操る人の餌食になってはいけないよね。

いまや、退職代行とかもあるし、就業規定では2週間前に申し出ることと

はっきり記載がある。

半年前から退職を申し出ているのに後継スタッフも見つけられずに

それでお客様に迷惑をかけてしまうのは責任感のあるスタッフの退職が理由だなんて

平気でいう会社ってもうその店舗潰してしまえば?って思った。

 

そしてそのスタッフの笑顔がどんどん消えていくのをみて私は

「会社なんてあなたがいなくても回るし、回らなくてもそれはあなたのせいじゃないのよ」と半年間、呪文のように言い続け、

朝、おはよう、の代わりに、今日こそはっきり言うのよ...と。

夜、お疲れ様、の代わりに、退職日決まった?を繰り返し言っていた。

そして、彼は初めて退職したいと言ってから約1年後にめでたく退職した。

 

また私が言った呪文↑が別の人を追い詰める場面もよく見てきた。

会社なんてあなたがいなくても回る...を利用して人を追い詰める管理者だ。

「定時内に出来ない仕事量ならもっと要領がいいスタッフに仕事まわすから」

と言われて、ある女性はサービス早出をしてまで処理をしていた。

彼女は私より先輩だったので前者の彼のように励ますことは恐れ多くて出来なかった。

そして皆勤賞だった彼女は大切な会議の日など体調不良でよく休むようになった。

 

私も、私の要領では裁ききれない店舗を二つ任せられ要領が悪いと言われ

それだけではなかったけど、いいきっかけで退職した。

退職前の引き継ぎ時に、また他のスタッフが体調不良で倒れたり

退職した私の仕事まで増えた先輩彼女がめずらしくメールをくれた内容は

あの管理者から「何がそんなに忙しいの?」と言われてショックだったと。

絶対、弱音を吐かない先輩彼女なのに追い詰められているなぁ?と感じ

その彼女には「自分を大切にしてくれない上司がいる場所で働きたくないと伝えたらどうでしょうか?私みたいに」と軽く返信したけど、彼女はまだ在職中。

 

前者の彼は、新しい職場で休みもしっかりもらえて(当たり前だけど笑)

毎日クタクタだけどぐっすり睡眠をとれば次の日は疲れも残らない。

だから休日を奥さんと外出し満喫できるようになった。念願の旅行にも行けるようになった。

前は、とにかく身体を休めなきゃって奥さんも心配しただひたすら寝るだけの休日だったけど。本当に辞めて良かったと、言っている。

 

先輩彼女とは今はまったく連絡は取っていない。

 

そして50代後半で(世間的には無謀な)退職したのはいいけど

なかなか再就職先が見つからない今の私。

 

何が正解で、何は不正解なのか?

退職して良かった・・・って言えるように、まだまだ もがくよ☆。

 

SNS誕生日登録を消すとお祝いメッセージはゼロになった。

私は友達限定公開で長い間SNSをやっている。

やり始めた頃は40歳くらい。あるイベントに参加したのがきっかけだった。

40歳、バツイチ、友達はみんな家庭持ちで、毎日、家と会社の往復だけだったのに、

イベントに出かけるたびにSNSでの友達がどんどん広がり面白くて仕方がなかった。

いいね!をもらえるのも嬉しかった。友達がたくさん出来たような気がした。

 

でも今、過去の思い出?のようなずいぶん前の記事をあがってくるのを見て思うのは

なかなか皆に囲まれて楽しそうに笑っている自分がいるけど

このころ、実は毎月のクレジット支払いでカツカツだったよなぁと思い出す。

安月給なのに週末になればイベントに参加する。

外食も派手にしていてまた旅行も行っていたので、毎月口座残が大丈夫か?が気になり

、お給料が振り込まれたら少しだけほっとしての繰り返しだった。

唯一、わずかだけど定期預金があったのが救いだったけどあまりにも

カツカツになってくると解約?までよぎるようになってたけど

なんとなくそれをしたら、もうおしまい?っぽく自分でも思っていた。

実家にいながら遊びほうけて40代でクレジットの支払いの心配をしている

自分がきっと本当は嫌で仕方がなかった。でも、自分でも気が付かないふりをして

過去の思い出の私が華やかそうに笑っているのをみると、痛々しい。

 

SNSでは、お誕生日を登録するとお友達に当日お知らせがいく。

もちろん私も登録していたので当時いたお友達84人(←少な笑)から

どんどんお祝いのメッセージが届き幸せな気分でいっぱいだった。

私も84人のお友達のお誕生日にはお祝いのメッセージを送った。

イベントに参加したらその月のお誕生日の数人をまとめてお祝いしてくれたし

もちろん私もする側にまわった。

何年かそんな事を続けていたけど、

ふっと、お誕生日の登録を消したらどうなるんだろう?と思い、2日前に消してみた。

 

当日、誰からもメッセージはこない( ̄▽ ̄;)。

唯一、昔からのお友達(SNSはやってない、子供も小さいので何年も会えていない

友達)からのお祝いメール1通だけがきた。

そして夜になると母がこっそり用意してくれたショートケーキを出してくれた(笑)。

 

私はあのころ、この↑二人に心からありがとうって言えたか?自信がない。

結局、お誕生日のお知らせがいかなければ84人のSNSのお友達は誰も私のお誕生日なんて覚えてないこと、そのことがショックで頭がいっぱいだったから。

(まっ自分も84人のお誕生日なんていちいち覚えてないんだけどね)

 

それをきっかけにリア充という言葉を意識するようになった。(古い?)

ただ毎日が華やかでキラキラしているお友達に囲まれて笑っていても

私は本当に充実しているのか?と。

SNSのお友達とギクシャクしだしたのもこの頃でイベントに行く回数も

減り始めた。

その頃にSNSのお友達とはまったく正反対の地味なおっと君と出会うことになる。

 

私の投稿はだんだんとおっと君とすごす地味なものになり(笑)いいね!の数もどんどん減る。

そんなキラキラしてない地味なものはみんないらないのね(笑)。

(84人のうち今でもリアルに合っているお友達の4人ほどだけが変わらずいいねしてくれた 少な笑)。

たかがSNS

頭でわかっているのに、それでも、おっと君との幸せな時間の投稿をしても何故か満たされない感があり、

でもそこから解放してくれる目から鱗のFBの記事が最近あった

 

野村 慶太郎さん

2023年9月26日の記事

(リンクの貼り方が解らなくてすみません)

 

一部抜粋↓

 

『「すげー!」「マジいいじゃん」「えらい!」「ありがとう!」

どんな言葉でもいい。

言われる100倍、自分の横の身近な人を承認する言葉を湯水のように投げかけれる人間でありたいと思う。』

 

抜粋したこの内容をリアルにやり始めてから

いつもおっと君に言う「ありがとう」や

おっと君が私に言う「ありがとう」がとても大事なものに思えてくる。

そして心が満たされていくのがリアルでわかる。

 

会うこともないSNSの人に軽くいいね!する代わりに

リアルに横にいるおっと君やリアルに合う数少ないお友達に

直接いいね!をしていくと本当に日常が輝きだすね。

 








箸にも棒にもかからない(50代後半の転職活動3)

まだ転職先が決まらない。

約1カ月ほど前に面接した会社を最後に面接までもたどりつけない。

まぁこの1カ月前に受けた会社の面接も散々で。

 

自己紹介をすれば、それだけですか?とか

(るしるしと申します。前職歴を生かせる職種の内容でしたので応募いたしました。

 よろしくお願いいたします、ではだめですか?)

 

志望動機を答えると、曖昧ですねタメイキ…とか

(通勤が便利・休みが完全週休2日制・前職の職歴が生かせるの3点ですと答えたが

これ以上の何をお望みですか?)

 

私の経歴書の内容では簡素すぎて具体的に何をしてきたのかがわからないとか

(今まで経歴書の内容でそこまで言われたことはないのにな。

 面接時に具体的に聞かれたことはあったけど…そのための面接でしょ?)

 

面接のにはスーツ着用でと言われたので(まぁそのつもりだったけど)きっちりしたところなんだろうなぁと思っていたけど一人の面接官はリネンロングワンピース、

もう一人の面接官は姿勢も悪いし長い髪を何度もかき上げため息ばかりつかれて

いやいやいやいや、もう落とす気満々やん( ̄▽ ̄;)。

書類選考を通過して面接に来たのにもう他の人に決まったのかしら?

頼むから落とすにしてももうちょっと対応の仕方があるやん。

逆にいつお客様側にこちらが回るかわからんし。

 

ふん、こんな会社こちらから願い下げだわ(。-`ω-)

(願い下げなくてもしっかり落ちました、こんな会社でも落とされるとショックで

自分から断りたかったという負けず嫌い)。

 

それからというもの

①A社はハローワークの窓口から会社の採用担当者に名前と年齢を連絡→

担当がいないので本人に折り返し電話をするとのこと→

電話があり他の方で採用が決まりましたので今回は見送らせてくださいとのこと→

未だに求人募集はあがっている。

 

②B社は書類選考落ち

 

③C社は面接日候補日まで決まっていたのに前日に電話があり

これもまた、他の方で採用が決まりましたので今回は見送らせてくださいとのこと→

未だに求人募集はあがっている。

 

④D社はハローワークの窓口から会社の採用担当者に連絡するも、昨日

採用が決まったのでとのこと。ハローワークの人は会社の採用担当者の方に

閲覧できないように申し出てくださいと言った後、私にごめんなさいと言われた。

いやいや、ハロワの人が悪いんではないから(^^♪。

でも応募すら出来ないという事態にハロワまでのバス代が無職の私には痛すぎ( ゚Д゚)。

 

⑤E社は、この職種で…と応募してるのに

年齢を聞いたとたんに違う職種(条件がいきなり落ちる)なら応募できますよと言われて断念。

これもまた

応募すら出来ないという事態にハロワまでのバス代が無職の私には痛すぎ( ゚Д゚)。

 

と、せっかく採用を決まった会社を1日で辞めてから

6社受けたがすべて不発。(正確には応募すら出来なかった2社もある)。

 

はー(-_-;)。

落ち込みますねー。

箸にも棒にもかからないって言葉が自分にしっくりきてしまう(-_-;)。

 

落ち込みながら、YouTubeで50歳 転職と検索して同じような同士を探すと

私と同じように1度採用された会社を辞めたりしてるかたもいたり。

100社以上受け1年かけてやっと再就職が決まったというかたが

いたり。

このかたがおっしゃっていたのが、

焦るともうどこでもいいからって思ってしまうけど

どこでもいいなら長年務めていた前職場でも良かったわけで

でも前職場が嫌で辞めたんだから

やはりどこでもいいわけにはいかない…と。

ちょっと救われました。

 

たしかにまぁある程度の妥協は必要だとは思うけど

大切なところはまだ妥協したくないから。

 

やっと最初の失業保険が来週もらえます。

この待期期間って長いよね。6月末で退職。

転職活動は4月から始めたから6カ月過ぎました。

ハロワークの人ともすっかり顔なじみ(笑)。

 

年末までに、

せめて失業保険が切れる前には再就職先決めていなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分に嘘をつくと、まわりまで傷つけるよ

小学生の頃、うちの母に「ただいま」って言ってもよく無視された。

?聞こえてないの?って思いながら何回も「ただいま」を言う。

母の視界にはいりそしてようやく「おかえり」と言ってもらえる。

なんで返事してくれないの?と聞くと

「しんどかったから」と言われる。

....................( ̄▽ ̄;)

もともとずぼらな人だとは思っていたけど子供に「おかえり」も言えんか?

と子供ながらにかなり傷つくことになる。

 

そして母はなんでも適当に返事する。

私「病院はいつ行くの?」

母「うん、行くねん」

私「いや、いつ行くの?」

母「そやねん、B病院やめてん」

私「..................」

とにかく人の話を聞かない困った人だとばかり思っていた。

 

母は難聴だと言うことを知ったのは私が40代になってから。

目まいがするというので病院に行ったけど原因がよく解らず

大学病院へ検査。そこの待合室でも同じことばかりいうので大喧嘩。

私「さっきから同じことばかり、もう7,8回言ってるで」

母「8回も言ってない、まだ5回くらいや」

私「・・・・(きこえとる)」

看護婦さん「るしさん、診察室にお入りください」

母「・・・・・・・」

私「(聞こえとらんのか?)」

看護婦さん「るしさーん」

私「呼んでるで」

母「は?」

私「呼んでる」

 

そこで母の右耳がほとんど聞こえていないことを知る。

 

先生「障害認定は受けてないのですか?」

母「はい」

先生「どうして?」

母「・・・・・」

先生「娘さんはご存じでしたか?」

私「知りませんでした・・・そうだったんんですね」

先生「........辛かったでしょ?娘さん」

私「(´;ω;`)ウゥゥ」

 

全ての不幸は、母が自分の耳に障害があると認めなかったこと。

聞こえないことに気づかれたくないから適当に返事する。

大事な相談事をしているのに全く見当違いなことを答える。

まったく真剣に聞いてくれない。

私のことなんてどうでもいいんだと思って傷つく。

でもこの先生の「辛かったでしょ?」って一言で

私は40代の女性から5歳の少女に戻り泣けてくると同時に

そうかー母は無視してたわけではないんだーと晴れやかな気持ちに

なっていった。

母は母できっと悟られないように必死だったんだよね。

 

母はますます強烈になり最近でも実家に帰ると

母「これ味見して」

私「ふーふー」

母「美味しい?」

私「熱いからまだ食べてない」

母「そう、美味しい?良かった!!!」

私「・・・・・・・」

とこんな感じです(笑)。

 

ただ、もう、私も母の耳のことはわかっているし、

83歳の母は元気で自分勝手に生きてくれれば

今はそれでいい。

 

 

でも、耳の障害を認めていたら母もまた楽だっただろうし

私も傷つかずにすんだのにね。

自分に嘘をついて自分を認めないとまわりまで傷つけるよ。

 

 

 

 

 

 

23社目の会社を1日で辞め、残ったのはユニフォーム代の支払い(50代後半の転職活動2)

23社目でやっと決まった会社を1日で辞めました( ̄▽ ̄;)。

 

実際、職場の雰囲気なんて入ってみないとわからない。

面接で違和感を感じたらもちろんごめんなさいだけど

今回の所は面接官も管理者さんも感じが良かったし、仕事内容にも不満はなかった

(しいていえばお給料が少し安かっただけ)ので私も最後の就職先と思い入社したのだけれども。

初日に感じた違和感。

始業時間15分前に到着したらもうみなさんユニフォームに着替えて、もくもくとお仕事をされている。うーん...?これって25分くらい前に来ておかないとダメ?と思い初日から新人なのに一番遅くに出勤してしまった感でちょっと気まずく、笑顔もいっさいない職員さんにそのままロッカー室に案内された。

慌てて着替えて事務所へ。朝礼で紹介された後、唯一笑顔で

「引き継ぎよろしくお願いたします」って言ってくださった職員さんが天使にみえた。

初日って不安だし笑顔で接してくださるだけで本当に嬉しいんだよね。

でも、その方は1カ月半後には退職される。

「〇〇さんが退職された後は、私はあの✖✖さん(笑顔のない)と一緒にお仕事することになるのでしょうか?」と聞くとそうですね。と言われた。

✖✖さんと、もう一人のおそらく20代の茶髪の職員さん(こちらも私には笑顔がない)の楽しそうな会話が小さく聞こえてくる。

あのお二人とこれから一緒に仕事をしていけるだろうか?

お昼休憩になり休憩は1時間とは聞いていたがとりあえず50分で戻るも

みなさんは早々に席に戻り仕事をしている。交代でお昼休憩をとられている方も

30分ほどしたら戻って来られる。

うーん、だいたいみえてきたかしら?

合わないかも。

50代後半なのに選んでる場合じゃない?

まだ初日だからもう少し我慢して頑張ってみる?

いやいや3カ月我慢して辞めるほうが良くないのでは?

いや、3カ月我慢したらもう辞めれなくなるよきっと。

そしてずーと我慢するんだ。

辞めるなら早いほうがいいよね。

初日でこの愛想のなさと威圧感。ふつうは徐々にじゃない?

お給料も少なめでも人間関係は面接時よさそうに思ったから

決めたのになぁ。

だいたい唯一笑顔の○○さんはなんで退職するのかしら?

全然✖✖さんと話してなかったけども。

人間関係一番大事だよ。お給料も大事。

両方微妙なら

まだ失業保険ももらい始めていない今なら

まだじっくり選んでもいいのではー。

と、帰りのロッカーで着替え中グルグル考えて

「よし辞めよう、幸いまだ研修中だし明日のシフトは休みだから

 明日朝、電話でお伝えしよう」と決心し持ってきた上靴もそのまま置かずに持って帰った。

翌朝、始業時間に電話をした。あのおそらく20代の若い方がでた。

私   「昨日入社した るしるし と申します」

20代 「あーはい」

私   「おはようございます」

20代 「...........」

私   「あの....管理者さんお願いいたします」

20代  「....はい」

(愛想ないぞーおはようくらい言ってよーやっぱ辞めて正解やわ)

  ↑ 心の叫び

 

で、管理者さんに伝えた。まっ、色々話した結果、辞めることに。

 

私:ユニフォーム代お支払いしますので振込先を教えて下さい。

管:なんだかの形でお知らせしますね。

 

面接時に、ユニフォーム(ポロシャツ チノパン セット)を2セットいただいていて3年になる前に退職される場合は買取になります。と聞いていた。

私としては長く続けるつもりでいたのでその時は平気だった。

残念ながら辞めることになり先方にも迷惑をかけたのは確かだから

ちゃんとお支払いしよう...と思っていた。

 

で、1週間たっても連絡もなく2週間たったころに振込先の連絡が来た。

 

2着で19900円。えっ?(( ゚Д゚)

 

で、初出勤日の最低時給×8Hと差し引いて

12200円振り込んでください手数料はそちらもちで

 

えっ?(( ゚Д゚)

 

私自身、前職場では私服で仕事をしていてでも、

スタッフのユニフォームの管理はしててリースだったので

退職者には返却してもらっていた。もちろんお代金なんて

頂いてなかった。だからユニフォームの相場がよく解らなくて。

せいぜい高くても5000×2着くらいだと思っていた。

 

失業の身で思っていたより1万ちかい出費は痛い痛い痛い・・・。

1万あれば好きなワンピースが買えるのに・・・

手元に残ったのは

その会社のユニフォーム

一度だけ着て洗濯したものと、もう一着は新品のまま。

 

どこにも着ていけない。

 

(( ゚Д゚)

 

はやく忘れたくてすぐにネットバンキングで振り込んだ。

ユニフォームなんて2000円くらいだよって言っていたおっと君には言えてない。

まさかこんなにユニフォームが高いなんて・・・。

まっ、続けていればなんの問題もなかったのでしょうが

立ち直れない・・。

 

次のところは私服でお仕事できるようなところにしよっと

自分を奮い立たして50代後半でも

まだまだもがいてみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴミ拾いをするおっと君 鬼嫁でごめんね

うちのマンションから駐車場まで徒歩5分。

おっと君は毎朝、出勤時に車を取りに行くんだけど、

ゴミ(主にペットボトル)を拾いながら行くみたいで、毎回同じところ(違うマンションの垣根の草むら)に捨てられているし、同じ飲み物だから同じ人なんだろうなぁって話してて。

で、今朝は私も送ってもらうのに同行したら

今朝はペットボトルどころか垣根にゴミ袋で家庭ごみが捨てられていた😡

 

もうマンションの持ち主さんからなんかアクションしてもらえば?

なんでおっと君がここまでするの?

捨てる人ってなんの反省もなくここに捨てたらいいって思うだけじゃない?

と私😠😠😠。

でもおっと君は

これ、ほっといたら他の人も捨てだすから、

そしたら治安が悪くなるから。だって。

 

写真の奥にあるのは毎朝拾ったゴミ。(手前が今朝捨てられていたの家庭ごみ)。

持って帰ると私が嫌がるのでここにためて、ゴミの日に出してるみたい。

👹嫁でごめん。

おっと君にたくさんいい事がありますように。

 

 

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宿のおじさんが起きてこないことも楽しめたのに。☆5の感覚も人それぞれだなぁ

20代後半~40くらいまではよく沖縄のいろんなところ(離島へも)へ

趣味のダイビングも兼ねて一人で旅行した。

最初のうちはお友達と旅行をしていたのだけれども、だんだんと仕事の都合や

家庭の事情等で日が合わなくなり、一人で行くようになった。

初めはおそらく不安だったのかもしれないけど、やってみるととても快適で

自由な一人旅がやめられなくなった。

友達はリゾート系のホテルを好み、私は相部屋でもOKの民宿が好き。

今思えばそもそも好みが違うし、いつも私がいいよいいよと折れていた。

苦痛を感じてはないつもりでも、いざ一人で自分の好みの宿に泊まり、好みの時間の使い方を自分で決められる自由さが本当に心地が良くてはまってしまった。

 

特にリゾートにはない不自由さが好きだった。海以外なにもない不自由さ。

相部屋になる女子と気が合えばお友達になるし、

晩御飯は宿のゲスト全員で食べるのでなんとなく仲良くなれるしならなくてもいい。

台風で停電した夜、泡盛を飲みながらのランプを灯してトランプ大会。

スノーケルツアーをお願いしていたのに宿のおじさんが二日酔いでなかなか起きてこないとか

そんなことも「あー沖縄時間だねー」とかってみんなで楽しめた。

ゲストが私一人の時は晩御飯作るのが面倒だから、宿の家族と外食(島の繁華街)へと連れ出されたこともある。行く道中の車の中でマジの親子喧嘩がはじまったり。

それはそれでアットホーム感が面白くて楽しめた。

 

40代前半から三線を習い始めた。だんだんと一人旅から三線仲間との旅へと

変わっていった。お部屋はそれぞれ那覇のビジネスホテルを予約して

夜はみんなで集まり外食、その後はホテルに帰る人もいればそのまま二次会へ行く人もいたりで。そして翌日、昼間はコンクールの予行練習、その翌日本番。残り一日はデープなコザへ。みたいな今までとは違う旅行を何年か楽しんだ。楽しかった。

 

50代で結婚しておっと君とスノーケル旅行に行ったときに

お目当てのホテルの予約がどうしても初日が取れなかったので1泊だけ民宿に泊まった。

 

☆5くらいの勢いなので楽しみにしていたけど....楽しめない。

サービスなのか?宿の人が夕食の最中ずーとずーと話しかけてくる。

お料理美味しそうだから食べたいのにマシンガントークで話してくるので相槌を打つのに必死で堪能できない。

優しいおっと君も最初は頑張って聞いていたけど、疲れたのかもうひたすら食べている。それでも宿の人は自分の身の上話を楽しそうに話している。

やっと違うお客様のところへ行ってくれたので私もその間に必死で食べる。

なんだか疲れて部屋に戻ろうとすると、えっ?もう戻るの?飲まないの?的な

雰囲気が他のゲストさんや宿の方からかもし出される。

部屋に戻っても民宿なので大騒ぎしている声は部屋まで聞こえる。

しばらくしたら、懐中電灯を貸すので夜の海をみんなで見に行きませんか?

とドア越しに誘われ、丁重にお断りしたら気のせいかちょっと気を悪くされたような

雰囲気に感じられた。

 

☆5の内容は、「和気あいあい」「アットホーム」「家庭的」が圧倒的に多く

それはそれで素敵なんだけどね。きっと私がもう昔みたいにそれを

楽しめなくなったんだ。

 

旅行先で「不自由さ」や「和気あいあい」や「アットホーム」は

若いうちは楽しめたのになぁと懐かしく思うと同時に

この歳になると会話は楽しみたいけどある程度の距離感は絶対必要になってきたなぁと思う。

そして☆5の感覚も人それぞれだなぁと思った。

私も昔なら☆5つけてたなぁ。