ru-shi’s diary

素敵な勘違いで生きている

50歳まで家事を舐めていた 冷えたインスタントコーヒーを飲んで泣いた。

私は50代で結婚するまでほとんど家事をしたことがなかった。

実家暮らしで、同居していた年老いた母はボケ防止にと

掃除洗濯と出来ることは何でもしてくれたので甘えていた。

自分一人の食事を作ったりはたまにしていたけど

ほとんどは外食したりお惣菜を買って帰ったり。

 

なので正直、家事を舐めていた。

 

今のおっと君と社内恋愛で付き合いだした50歳の頃におっと君のために

お弁当を作り朝早くにこっそり渡す…みたいな青春(←死語?)みたいな

ことをした。もともと料理下手なのでお弁当作りの本を買い読み、

朝、5時に起きて必死で手作り弁当(冷凍食品なんて使わない)を作った。

朝から晩までお弁当のことで頭がいっぱいで楽しかった。

 

まもなくめでたく結婚して、徐々に毎日が幸せなはずなのに辛くて仕方がないようになり、楽しいはずのお弁当作りが苦痛でしかない。

付き合っていた頃はお弁当のことだけを考えていればよかったけど

結婚したらそうはいかない(今思えばあたりまえ笑)。

 

朝、5時起き、二人分のお弁当を作っておっと君の朝ごはんを用意して

私はお弁当の残りのおかずを一口二口立ち食いして朝の洗い物。

洗濯物を干してゴミを集めておっと君にゴミ出しをお願いして送り出し

自分の身支度をして残りの炊飯器の少量のご飯をラップに包んで冷凍し

釜を洗いお米を洗い炊飯予約。時間をみればあと5分で出ないといけないけど

どうしても朝のコーヒーが飲みたくてインスタントコーヒーを入れて

一口だけ飲み、そのまま7時過ぎにはバタバタと家を出る。

 

早い時で帰宅は午後7時半。遅ければ9時。

朝入れた一口だけ飲んだインスタントコーヒーがむなしく冷えて残っている。

新婚のころはきちんとしなきゃと思っていたので、どれだけ遅くても

開いているスーパーで買い物をして夕飯も手作りにこだわった。

母と似ていて料理が下手なくせにそんなことするもんだから

クタクタに疲れながら時間をかけて作った料理がだいたいは不味くて落ち込む。

おっと君は大丈夫美味しいよって言ってくれるけどそんなはずはない。

そして洗い物、レンジ回り拭き、シンクの掃除等をして、部屋の床をクイックルワイパーかけ。お風呂に入り髪の毛を乾かし洗濯物を畳んだらたいてい12時過ぎている。

そして朝5時に起きる。

 

あれ?なんで大好きで優しいおっと君との生活が毎日こんなに辛いんだろう?

毎日毎日追われっぱなしで寝る以外休めていない。

これで子供いる人たちってどうやって家事やってるの?

私はやっぱり結婚にはむいてないんじゃないか?と考えるようになり

冷えたインスタントコーヒーを一口飲んで

おっと君が大好きなのになんでこんなに辛いの?と一人で泣いたこともある。

 

ここまでくるとイライラは自然とおっと君にむいてくる。

 

食洗器を買いたいって言った私に

二人分の食器ぐらいすぐ洗えるでしょ?と言った。

あの優しいおっと君でさえそんなことを言うから家事をやったことがない

人って(私も含めて)本当に無神経。

 

朝、時間がないなかたった二人分の食器(実際はフライパンやら鍋やらその他もある)

洗っている間におっと君は笑いながらリビングでテレビを見て笑っている。

インスタントコーヒーを飲みながら。

 

夜、くたくたになりながらたった二人分の食器を洗っている間におっと君は

ソファーで寝そべりながらテレビを見て笑っている。

 

おっと君の笑い声が聞こえるたびにたった二人分の食器くらいと言ったあの言葉が

よみがえりイライラする。

 

洗濯物回すねーと回してくれても干す、取り込むはしない。

炊飯器のご飯食べるのはいいけどほんの少ししか残っていないご飯をそのまま。

もちろん窯も洗わないし、ごはん焚かない。

 

私が職場の飲み会の日、おっと君の晩御飯にカレーを用意した。

帰ったらシンクに食器や鍋が山のように汚れたままあった。

これ私に洗えってことよね…て思った瞬間に切れた(笑)。

 

たった二人分の食器

たった二人分の食器

たった二人分の食器

どれだけ腹が立ったかとか、炊飯器のことや、洗濯物のことや。

 

おっと君は「俺ってそんなに手伝ってない?」って悲しそうに言ったけど

そもそも手伝うってなに?と一段と切れた(笑)。

 

そこから二人で話し合い、食洗器は買うことに。

シンク周りも前は毎日ピカピカにしていたけど

生ごみ受けの網だけ毎日変えてあとはさっと水で流してピカピカにするのは週末だけ。

コンロガードを使用してそれでも気になる油汚れだけ毎日ふき取るようにした。

洗濯乾燥機も買った。洗濯機を回した後は必ず二人で仕分けして乾燥機に入れ畳むようなった。

食材等はほとんど宅配で済ますようにして足りないものだけ会社帰りに買った。

そしてなによりも手作りをほとんどしなくなった。

冷凍食品に頼るようになった。お弁当も玉子焼き以外はレンチン。

ただ野菜はとりたいので季節の野菜セットを毎週必ず頼み、

生か炒めるか簡単に料理して食べるようにした。

 

毎日の部屋のクイックルワイパーもやめて気になるところだけにしてササっと

拭いて、週末にルンバ君とクイックルワイパーを。

 

徐々に二人で家事を変えていった。

ちゃんとやらなきゃのちゃんとってなに?って今は思う。

 

もともと家事が苦手だしやったことがなかったので

手探り状態で7年かけてここまできた(笑)。

 

あの時、切れて私が泣いていたのを思い出すと

「本当に気づいてあげれなくてごめんね」と今でも、

おっと君までうるうるする。

いやいや、ためて切れてごめんねと今でもウルウルする(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

面接中に履歴書を突き返された(続・50代後半の転職活動)

約5カ月間の転職活動。

内、3ヵ月は在職中、2ヵ月は退職後の活動だった。

在職中にすぐ転職先が見つかると思っていたけど甘かった。

というより一番最初に応募した会社は、急募なので退職日まで

待てない・・という理由で不採用になった。

なので自分は世間的に需要があると一段と勘違いをした。

が、その後は、ことごとく不採用が続き落ち込むばかり。

転職先がみつからないまま退職日をむかえ、次の日からは時間はあるので

エンジンをかけて2.3社同時に応募した。

それでも不採用が続きかなり落ち込んでいた。

活動5か月目、更に体調を崩して(夏風邪)予定していた3社の面接を延期して頂いた。なにもかもが上手くいかない気がした。

(そのうちの1社は延期をお願いした時点で音信不通)

ようやく体調が整い、延期していただいたA社に面接へ行った。

が、面接会場を間違えるという失態(-_-;)。

にもかかわらず

従業員の方が、車ですぐにお送りします・・・と正しい面接会場まで

送って下さった。

車中で「縁があって採用されればいいですね」

と、話しかけてくださり、とてもいい感じだった。

面接時間をとっくに過ぎて到着した私は、

最初の面接日を延期していただいたこと、

今日会場を間違えて時間に来れなかったことをお詫びした。

いえいえ・・・って感じで咎められることもなく、

管理者他2名とても和やかに面接は続いた。

(どうしよう・・

明日面接予定のもう一社のほうが年収的には少し条件はいいんだけど

この会社、みなさん本当に親切でなごやかだから・・

ここに決めちゃう?

少しくらいの年収差より和やかで人間関係がいいほうがお勤めしやすいし)

と思い始めた。

 

そこで、管理者の方が、では来ますか?とおっしゃっていただいたときに

「実はもう1社明日面接予定なので明日まで待っていただくことは可能でしょうか?」

(やはり、明日の会社の雰囲気も確認してから決めよ)と

言おうとしたら途中の 実はもう1社明日面接予定なので...←このあたりで

遮られ、突然管理者が切れだした。

「採用するかどうかはこちらで決めます、そっちが決めるんではない」

と、渡した履歴書、職務経歴書ハローワークの紹介状まで突き返された。

そして最初に頂いた名刺も返してくれと言われ返した。

念押しのように

「今回はそちらからの辞退ではない、こちらからの不採用です」

と言われた。

私はいったいなにがおこったのかよくわからないままスゴスゴと

突き返された履歴書一式を鞄にしまい、部屋を出た。

出るときに一緒にいた他の面接官さんが

「暑い中来てくれたのにすみません」と声をかけてくださった。

 

( ̄▽ ̄;)( ̄▽ ̄;)( ̄▽ ̄;)

 

たくさん不採用通知を受けてきた中でも稀に採用された会社2.3社

あったけど、「他社も受けていらっしゃいますか?」

と聞いてくだったのでそれが普通だと思っていた。残念ながら条件が合わず辞退したけど。

 

なので今回は驚き...怯え...そして家に帰る途中で怒りに代わってきた。

そのまま、家に帰るのはどうしても気持ちが収まらなかったので

ハローワークに寄り、あったことを全て話し、通常、先方へ渡さないと

いけない紹介状も突き返されたことを伝え、ハローワークへお返しした。

「私からの辞退ではなく、あちらからの不採用だそうですよ

 決めるのはあちらで私ではないようです」と。

ハローワークの職員さんは苦笑いしながら、

「決めるのはお互いなんですけどね・・・暑い中、わざわざ面接に行って

嫌な思いをしましたね.・・・」と慰めてくれた。

ちょっと気がおさまった。

 

管理者以外は本当に親切で明るくて思わず入社してしまうところだったよ。

(管理者も最後以外は、おだやかだったからあぶなかった笑)

思えば、最初の面接その日に発熱して、再度面接の日に会場を間違えるという

見えない何かが最初からそこへは行くなーとっ導いていたのかもしれない。

 

ここで、もう全ての凹む転職活動悪運を使い切ったのか

翌日面接の会社に即採用が決まった。

 

とても感じのいい管理者さんで、ほかのスタッフさんとも楽しそうにしていた。

面接中は終始笑顔。だれも委縮してる感がない。

 

今、振り返れば、あの切れてきた会社は、表向きは和やかでも

どこか誰かが委縮してる感があったよなぁ。

まぁ今思えばの話だけど。

 

 

 

 

 

今日のご飯はトマトだよって平気で言う人

母は料理が下手だ。

昭和17年生まれの極限の貧乏育ち。

もしかしたら煮物とかそのあたりは上手だったのかもしれないけど

小さい子供が食べたいハンバーグとかスパゲティーとか

焼き肉とかハンバーグとかグラタンとか・・・そのあたりは絶望的に下手だった。

というよりそんな食べ物、母は食べたことがなかったんだろう。

自然と娘の私も絶望的に料理は下手だけど自分が料理が下手だと

今は、認識しているけど母は違った。

(若いころは私も自分で料理上手だと勘違いしていた、なんの根拠もありませんが)

 

とうぜん私は極度の好き嫌いが激しい子供だった。というか嫌いが多すぎて。

好きなものはミカンだけだった。小さい頃は箱買いしてくれていたのので

ミカンがなくなると泣いていた。母はなんでミカンがないくらいで泣くのか?

大げさな子だなぁと半ばイラついていたらしい。

そりゃもう、自炊もできない幼い私にとってはミカンで栄養をとっていたような

もので・・。手が黄色くなるくらい大好きだった。

野菜も嫌い、肉も嫌い、魚も嫌い、白いご飯も嫌い。

これ、嫌いというよりは、まずかったんだと思う。

覚えているのは

ぬるぬるしたきっと古い腐りかけのいやな匂いの青ネギをそれを平気で

ラーメンにいれたり。

(小さい頃はよくお腹をこわしていた)

ラーメンも時間以上に茹でるのでもう気持ち悪くて食べられず。

肉はレバーのみ。うちの焼き肉はレバーで抹茶色だった。カチコチに焼かれたレバーに醤油をかけて食べさせられた。

お味噌汁に魚を入れられてきっと下処理がきちんと出来ていないせいかとにかく魚臭くて食べられない。

しかも骨の多いアラ魚ばかり食べさせられて喉に骨がささり恐怖だったり。

白いご飯はいつまでも釜に入っていたせいか嫌な匂いがした。

遠足のお弁当ウインナーさえちゃんと焼いてくれないから生っぽいか、

真っ黒こげで美味しくない。

玉子焼きも塩っ辛いか?入れ忘れたのか無味だった。

お弁当に平気でおでんのコンニャクとか入れたり。

お弁当にスパゲティをケチャップだけで味付けしただけのおかずだけを入れられた。

ミンチ肉を丸めて焼いただけ?のようなものにケチャップをたくさんかけて

はんばぐだと、だされた。

(今でも母はハンバーグをはんばぐ、ミートソースをみんとソースと言うし書く)

家で作った出汁だから美味しいはずと、適当に鰹節や煮干しから作り、魚臭さが強烈な冷やしソーメンを食べさせられた。

 

 

小学高学年の時に、友達の家に御呼ばれして焼き肉を見たときに、キャベツやナスビやトウモロコシがあり色鮮やかで、しかも肉がレバーではなく、なにやら美味しいタレでレバーではないお肉を食べて美味しくて感動した。

 

社会人になって外食するようになってからは世の中にはこんな美味しいものが

あふれているのだ・・・と感動した。

お酒も飲むようになり、ガリガリだったのに一気に15キロも太った。

 

トラウマなのか今でも肉の油や魚臭さが苦手で

このお店のお魚なら食べられるとかこのお店の豚肉なら大丈夫とかがある。

今、我が家では魚料理はほとんどしないし、お肉もおっと君のために

豚肉を使うくらい。

料理が下手のことは自分でもよく解っているので麵つゆや冷凍食品や

パスタのソースとかもフルに使っている。お惣菜も罪悪感なく買う。

 

そんな母ももう80代半ば。

たまに実家に帰るとお昼ご飯を作ってくれる。

最初は恐怖でしかなかったんだけど最近はもう冷凍食品や

市販の味付けで料理をしているようで煮物とかは美味しかったりする。

長い年月をかけて自分は料理下手だと気が付いたのかな。

 

今日のご飯は(おかずは)トマトだよって平気で言う人だったけど

(私が偏食酷すぎたからだとは思うけど笑)

 

あのころは専業主婦が主流だったのに私をおんぶし病院で掃除婦をしたり

建築現場で荷物を運びの仕事に就いたり、色んなことをしながら

働いて育ててくれた母に(いわゆる毒親っぽいとこもあったけど)

今は感謝している。

生きてくだけで精一杯だったんだよなぁきっと。

 

 

 

 

 

泣くとおっと君は悲しむから笑いながら泣いた。

少し前に、夏風邪をひいて(抗原検査は陰性)1週間ほど

普段の晩酌を控えていて、熱もさがり体調もいいので

そろそろ晩酌を再開しようかな?と思った時に

年下おっと君に「るしちゃん、もう一日控えたら?」と言われて

私は逆切れてた。

「えー、昨日、飲もうかな?と思ったけど明日まで我慢しよって

思ったのに・・そんなんなら昨日再開しよって言えばよかった・・

せっかく昨日は我慢したのに・・・」と

まぁ、酒飲みの逆切れです。私が文句タラタラ言ってる間、

おっと君は私の処方されたお薬を確認して、

「もう一日分だけあるんだからせめて明日からにしたら?って思ったけど

お酒飲めるようになったってことはそれだけ元気になったってことやね」

と折れてくれた。

そんなおっと君をみて切ないほど優しいから自分がとことん醜く思えて

超反省しながら「心配してくれてるのにごめんなさい」と謝る。

一週間ぶりのビールを飲みながら(笑)。

 

57歳で長い間務めていた会社を退職した日、

年下おっと君は、バラの花束と現金30万をくれた。

うちの家計は私が食費担当でそれ以外はおっと君の担当。

「いくら貯えがあるっていっても、再就職が決まるまでの間、口座残高が減っていくのは、るしちゃんの性格上、不安神経症になるでしょ?」って。

おっと君の優しさにふれておいおい泣いた。

 

この人、ほんとによく私なんかと結婚してくれたなぁって。

おいおい泣いた。

でも私が泣くとおっと君は悲しむから笑いながら泣いた。

 

 

 

50代後半の転職は思ったより大変だった。

57歳で約20年務めた職場を退職をした。きっかけは些細なことだったけど

積み重ねてきたものがとうとう耐えられなくなった。

慢性の人材不足で募集をかけても応募がほとんどなく

やっと応募があれば50代後半の未経験者であっても即採用する職場に長い間いたので

世の中そんなもんだと思っていた。

でも・・・世間は違った。

特に私には経歴があったので即戦力になれる自信があった。

が、面接までもたどり着けない、書類選考で落とされる。

年齢不問となっていても。

それでも書類選考で落とされる、のはまだまし。

いきなり面接から始まる選考方法の企業は、ハローワーク窓口で57歳女性の方です

と連絡をした時点で求人票に「年齢不問」を記載している以上断れないようで

(これは私の想像ですが)やっつけ面接感が半端ない。

これ・・傷つくしお互いの時間の無駄だし交通費だってかかっているわけで。

書類選考でもそうだけど、私傷つかないから(まっ、多少は傷つくけどね)

年齢が気に入らないなら応募時点で断ってくれーと心の中で叫んでいた。

不採用の通知が繰り返し届くなかで、「人材不足」というニュースを見るたびに

凹んだ。人材不足なのに経験豊富な私は需要がないんやねと(-_-;)。

前職場では応募があれば未経験でも即採用だったのにあれが世間観ではないんやね。

ハローワークの人は「タイミングですよ」と慰めて言ってくれた。

そんななか23社目でようやく最近、転職先が決まった。4ケ月。

長かったー辛かったー落ち込んだーけど。やっと。

57歳、私の転職活動はほんと大変だった。