ru-shi’s diary

素敵な勘違いで生きている

今日のご飯はトマトだよって平気で言う人

母は料理が下手だ。

昭和17年生まれの極限の貧乏育ち。

もしかしたら煮物とかそのあたりは上手だったのかもしれないけど

小さい子供が食べたいハンバーグとかスパゲティーとか

焼き肉とかハンバーグとかグラタンとか・・・そのあたりは絶望的に下手だった。

というよりそんな食べ物、母は食べたことがなかったんだろう。

自然と娘の私も絶望的に料理は下手だけど自分が料理が下手だと

今は、認識しているけど母は違った。

(若いころは私も自分で料理上手だと勘違いしていた、なんの根拠もありませんが)

 

とうぜん私は極度の好き嫌いが激しい子供だった。というか嫌いが多すぎて。

好きなものはミカンだけだった。小さい頃は箱買いしてくれていたのので

ミカンがなくなると泣いていた。母はなんでミカンがないくらいで泣くのか?

大げさな子だなぁと半ばイラついていたらしい。

そりゃもう、自炊もできない幼い私にとってはミカンで栄養をとっていたような

もので・・。手が黄色くなるくらい大好きだった。

野菜も嫌い、肉も嫌い、魚も嫌い、白いご飯も嫌い。

これ、嫌いというよりは、まずかったんだと思う。

覚えているのは

ぬるぬるしたきっと古い腐りかけのいやな匂いの青ネギをそれを平気で

ラーメンにいれたり。

(小さい頃はよくお腹をこわしていた)

ラーメンも時間以上に茹でるのでもう気持ち悪くて食べられず。

肉はレバーのみ。うちの焼き肉はレバーで抹茶色だった。カチコチに焼かれたレバーに醤油をかけて食べさせられた。

お味噌汁に魚を入れられてきっと下処理がきちんと出来ていないせいかとにかく魚臭くて食べられない。

しかも骨の多いアラ魚ばかり食べさせられて喉に骨がささり恐怖だったり。

白いご飯はいつまでも釜に入っていたせいか嫌な匂いがした。

遠足のお弁当ウインナーさえちゃんと焼いてくれないから生っぽいか、

真っ黒こげで美味しくない。

玉子焼きも塩っ辛いか?入れ忘れたのか無味だった。

お弁当に平気でおでんのコンニャクとか入れたり。

お弁当にスパゲティをケチャップだけで味付けしただけのおかずだけを入れられた。

ミンチ肉を丸めて焼いただけ?のようなものにケチャップをたくさんかけて

はんばぐだと、だされた。

(今でも母はハンバーグをはんばぐ、ミートソースをみんとソースと言うし書く)

家で作った出汁だから美味しいはずと、適当に鰹節や煮干しから作り、魚臭さが強烈な冷やしソーメンを食べさせられた。

 

 

小学高学年の時に、友達の家に御呼ばれして焼き肉を見たときに、キャベツやナスビやトウモロコシがあり色鮮やかで、しかも肉がレバーではなく、なにやら美味しいタレでレバーではないお肉を食べて美味しくて感動した。

 

社会人になって外食するようになってからは世の中にはこんな美味しいものが

あふれているのだ・・・と感動した。

お酒も飲むようになり、ガリガリだったのに一気に15キロも太った。

 

トラウマなのか今でも肉の油や魚臭さが苦手で

このお店のお魚なら食べられるとかこのお店の豚肉なら大丈夫とかがある。

今、我が家では魚料理はほとんどしないし、お肉もおっと君のために

豚肉を使うくらい。

料理が下手のことは自分でもよく解っているので麵つゆや冷凍食品や

パスタのソースとかもフルに使っている。お惣菜も罪悪感なく買う。

 

そんな母ももう80代半ば。

たまに実家に帰るとお昼ご飯を作ってくれる。

最初は恐怖でしかなかったんだけど最近はもう冷凍食品や

市販の味付けで料理をしているようで煮物とかは美味しかったりする。

長い年月をかけて自分は料理下手だと気が付いたのかな。

 

今日のご飯は(おかずは)トマトだよって平気で言う人だったけど

(私が偏食酷すぎたからだとは思うけど笑)

 

あのころは専業主婦が主流だったのに私をおんぶし病院で掃除婦をしたり

建築現場で荷物を運びの仕事に就いたり、色んなことをしながら

働いて育ててくれた母に(いわゆる毒親っぽいとこもあったけど)

今は感謝している。

生きてくだけで精一杯だったんだよなぁきっと。